化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

人はゼロからイチは作れない

研究職の僕はたまに「ゼロからイチを作れる人はすごい。」と言われることがあります。
それには曖昧な返事を返すのですのですが、人はゼロからイチは作れないと思うのです。

化粧品の研究とはいえ、大雑把に言えば原料メーカーが作った原料を混ぜているだけです。
何を、どれくらい、どのように処理するかという選択をしているだけと言えます。では僕たちに原料を提供してくれている原料メーカーはゼロに当たるのかというと、植物由来であれば植物が必要で、畑が必要で栽培してくれている農家がいることになります。その農家も最初は誰かから種をもらったりしたわけで、その種はどこから来たのかと突き詰めれば、自然から来たという答えになります。
つまり、ゼロを追求すればするほど新たな関係者が出てきて、最後は自然になります。
その自然がどうやってゼロからイチを作っているのかはまるで謎に包まれています。

品種改良という方法があります。
遺伝子による突然変異を利用して、新しい品種を作るというものです。これも元々は遺伝子の研究をしていたらキッチリ分裂しているわけではなく、たまに変わっていたりクロスしていたりして、それを突然変異を名付け、その変異を利用したものです。
元々自然で起こっていた方法を利用しただけなのです。

細胞生物学など身体の中のことを勉強すると、社会の仕組みの全ては身体の中で起こっている仕組みと同じではないかと思います。
工場の流れ作業のような仕組みは勿論、お金のようなエネルギー、インフラ整備や連絡網の仕組みなど、どれも身体の中で実際に起こっている仕組みです。
酵素の触媒作用はまるで駅まで徒歩で行かずに自転車で行くようなものです。
2016年のノーベル賞である大隅教授の「オートファジーの仕組み」は現実社会のリサイクルに当てはまることでしょう。
もしリサイクルが上手に機能していないのであれば、オートファジーの仕組みを学ぶと良いのかもしれません。それでも上手に機能しないのであれば、まだ分かっていないオートファジーの仕組みがあるからではないでしょうか。

身体の中の仕組みだけでなく、自然の中にも沢山の仕組みがあることでしょう。社会に出てくる新しい仕組みはおそらく自然のどれかに当てはまる事になります。
新しい仕組み、新しい技術とどんどん新しいものが生まれていきますが、そのどれもがゼロではなく自然にあったものを人工的に作ろうとしてみたわけです。人工的に作るといっても、材料は自然から調達する必要があるので、やはりゼロに近づこうとしてもゼロにはなれないようです。

そう考えれば、自然の凄さというのは、また違う視点で凄いと思いませんか?
電車や車が当たり前になり、携帯電話が当たり前になり、スマホが当たり前になって、目の前にいないのにコミュニケーションが取れるようになった今、自然を疎かにしているような、自然より優れていると思ってしまいがちですが、僕たちは何か困ったことがあれば自然からヒントを得ているのです。
SFであるようなどこもかしこも建物になってしまえば、自然を身近に感じなくなります。すると新しい仕組みやモノは生まれなくなり、既存のモノを新しいかのように魅せることしか出来なくなるでしょう。

化粧品研究者こまっきー

↓こちらもどうぞ↓

www.komacky.com