化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

桃太郎は誰だ。

改めて言うまでもないのですが、桃太郎とはイヌとサルとキジにきびだんごをあげて家来にして、鬼退治に行くという話です。
鬼退治して、鬼が他の国から奪った宝物を奪いに行く話です。

現在を桃太郎に例えると、結構複雑で分かりにくいです。
一体誰が桃太郎で、誰が鬼なのか?
誰が桃太郎の家来で、誰が鬼の子分なのか?

面白いことに、現在の桃太郎らしき人が現れると、その人の過去の発言ピックアップして「この人は鬼だ!」と発言する人が出てきます。
確かにピックアップされた一言を読んでみると、鬼であるような発言なので、「この人は桃太郎のフリした鬼か!」と決めつけてしまいそうになります。
ところがまた別の人が「その文章はこういう意味がある。」と言って前後の文章を紹介したり、今までの発言から読み解いて「だからこの人は桃太郎だ。」と言うと「なるほど。やっぱり桃太郎か。」と納得してしまいます。

行動が明らかに桃太郎の場合でも、桃太郎じゃない事があります。
公での発言はあたかも桃太郎で、鬼退治してくれそうな人でも、鬼の家来である可能性です。
鬼ヶ島出身の桃太郎です。
出身は過去を見れば明らかなのですが、桃太郎らしき人が「そこにいて、これではダメだと思いました!」と言うと、やっぱり「なるほどな。実際に経験しな分からへんもんな。」と納得してしまいます。

あるいは、配役を決めて桃太郎と鬼を演じている場合もあります。
SNSでありがちですが、お互いでその人のことを批判し合って注目を浴びていき、気がつけば一緒に講演をやっていたりします。
SNSでは批判は注目の的になります。偏っている意見ほど拡散されやすくなります。偏っている意見ほど、人は支持したくなります。
こういう人は桃太郎というか、家来か子分かもしれません。

もし誰かの意見を全て支持している場合は注意が必要です。
その場合はおそらく自分で考えていないでしょう。自分で考えれば、他人と意見がピッタリになることはありませんから、ピッタリ同じの場合は自分の意見を考えてみてください。
他人の発言は情報としてみて、最終判断は自分ですることです。

このように現在では桃太郎のフリをしている人が多くて、鬼すらも桃太郎を演じていて、一体誰が桃太郎なのか判断が難しいです。
桃太郎だけではなく、この全く反対のことが鬼にも当てはまります。
今の文章の桃太郎を鬼に置き換えれば、鬼が誰かということも複雑であることがわかります。
鬼の場合は、「この人鬼です!」と鬼本人が桃太郎を鬼扱いしたり、桃太郎派の人を鬼扱いするパターンもあるでしょう。

桃太郎が鬼退治するパターン、桃太郎のフリした鬼が鬼を倒すフリをするパターン、桃太郎を鬼に仕立てて桃太郎のフリをした鬼が鬼退治(桃太郎退治)をするパターンの3つが考えられます。
シンプルに桃太郎が負けるのは話のオチが変わってきますので、あくまで話はそのままに、僕たち目線で見れば、配役が入れ替わっている可能性が高いという話です。
となれば、桃太郎の鬼退治成功確率は1/3です。

このどれを選ぶかは民主主義ならば選挙ということになり、僕たちが3択から選ぶことになります。
それまでの情報戦は桃太郎vs鬼でも、最終的には一般市民が選ぶのが民主主義です。

そういう意味では民主主義とは一般市民に結構な負担を強いているとも言えます。
いざというときに判断しないといけないということは、専門家に任せられない社会であり、誰かに任せて安心して暮らすことは出来ないということです。
一般市民が知識を持って判断して初めて、安心して暮らすことが出来るのが民主主義と言えます。

だからこそ、桃太郎は誰だ。ということは1人1人が考えて正しい答えを選択する必要があります。
なぜなら、桃太郎は鬼退治した後に宝物を奪って帰るからです。

化粧品研究者こまっきー

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