化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

嫌な経験をしないと嫌だとわからない。

怒らない教育が浸透して、その教育で育った子たちが社会人になりました。
すると僕の世代には理解できない話をいくつか耳にします。

友達から、会社の新入社員の男の子とその友達の4人グループで遊びにいく約束をLINEでしていた時に起こったトラブルの話を聞きました。
その男の子は皆んなで遊ぶ予定の日に予定がありそうだったのが、無くなったので「その日行ける!」と返信したのですが、後日結局入りそうだった予定が入ってしまい「やっぱり行けなくなった。」と連絡したそうです。
それがちょっとややこしい話だったそうなのですが、すると他の3人は「なんかめっちゃややこしくない?グループから外す?」という話し合いになったそうです。

男の子はその後弁解をして、なんとかグループに残ることができたと言っていました。
そのグループは小学校か中学校からの友達だということでした。
僕は「見切りつけるの早すぎるやろ!」と思いました。
行けない行ける、やっぱり行けないという、ごちゃごちゃした問題は社会人になればなるほど、結婚して子供が出来てと変化していけば行くほど起こってきます。

つい先日、僕は大学の所属していたラボの教授が77歳の喜寿を迎えたということで、そのお祝い会に参加してきました。
同期のラボメンバーは4人いました。
グループラインで出欠を聞くと、1人はつい最近まで所属していたので当然参加する、1人は関東なので行けないと返信があり、僕はもう1人に「一緒に行こうや。」と言いました。
最近まで参加していた子は当日お手伝いなどありそうでしたし、学部卒の僕にはあまり知り合いがいません。

学部卒なら1年くらいしかラボに所属していなかったのですから、わざわざ顔を出す必要があるのかと思うかもしれませんが、僕は去年に研究室のOB紹介の流れで仕事を頂いたこともあり、顔を出すべきだと思いました。
そこで同じく学部卒のもう1人の子も誘って、一緒に行くことになったのですが、前日になって「明日学会があって行けなくなったこと言うの忘れてた!ごめん!」と連絡来たのですが、僕は「そうかそうか、了解。」と返信しました。
ひさしぶりに同期に会える楽しみが消え、と「明日ぼっちなんじゃあ?」という不安がありましたが、まあ、そういうこともあるでしょう。
だからといって「あいつラインから消す?」とは思わないです。
先ほどの男の子の話に似た話を最近もう1つ耳にしましたので、10個下の人間関係の感覚はこんな感じなのでしょうか。

ある会社で社内恋愛をしているカップルの話を聞きました。
彼女の方が、彼氏が他の女性と喋ったりしているのが気になるらしく、何かあるたびに彼氏にラインを送るそうです。
彼氏はそれに嫌気がさしてきているという話でした。
いわゆる“束縛が激しい”とか“重い”とか、もしくは“メンヘラ”とも言われているタイプの女性です。
この話を聞いた時、「社会人でそれは珍しいな。」と思いました。

僕は高校の頃、当時付き合っていた彼女から「重い。」と言われたことがあります。どういう意味か分からずに「どういう意味?」と聞き返して「もういいわ。」みたいな返事があったのを覚えています。
大学に入って、“束縛が激しい”とか“重い”といわれるようなタイプの人と付き合いました。
そこで僕は「ああ、これが重いってことか。これはやられた側はしんどいなあ。」と感じました。“束縛が激しい”とか“重い”の言動は様々ですが、好きという気持ちを全面的にだして、交際相手の日常生活に口出しすることは“束縛が激しい”とか“重い”に含まれるでしょう。
経験をすれば自分はそうならないように気をつけるようになります。

おそらく、社内恋愛中の彼女は“束縛が激しい”とか“重い”言動をされたことがないのだと思います。
されたことがないので、相手がなぜ避けるのかがわからないのでしょう。
もしくは自分が常に相手以上に束縛が強かったので、束縛を感じるタイミングがなかったということもあり得ます。

そしてこれは思春期以降に生まれてくる感情で、少女漫画などにあるように“抑えきれない気持ち”であり、時と共に認知していくものだと思います。

経験しなくとも嫌なものは誰だって嫌だ。というのは、それに近いことを経験していたからこそ、わかるのかもしれません。

怒らない教育でいつもの口調で「こーら、ダメでしょ。」では子供は問題の大小がわからないのではないでしょうか。
そのときの機嫌をグッと抑えて「八つ当たりしたらあかん。」と思いながら注意していると、なんかわからんけどイライラするという感情があることを子供は経験しないまま育ちます。
親だって、先生だって人間ですから、時には虫の居所が悪いときだってあるでしょう。
子供に八つ当たりしてしまうときだって、良くないことは分かっていても、やってしまうものです。
その経験がない子供は自分が虫の居所が悪い時に訳がわからなくなります。
そして、ちょっと怒られただけでシュンとしてしまいます。
「普通に喋ってくれたらいいのに。」と思うそうです。
いやいや、普通に喋れない状況であり心境なんだよと思うのですが、先生にも親にも怒られないまま育つと、怒られる経験が浅いので、怒る人の気持ちがわかりません。
怒るという感情表現を知らないので、僕の知っている子は顔を鬼にして怒ることはありません。
「なーなー、聞いて。こないだめっちゃムカついたことがあるねん。」と普通の世間話と同じトーンで話します。
僕だったら、過去の話でも話しながら怒っています。

子供が安全に暮らせるように、子供にストレスがかからないようにと、子供への配慮は年々増えています。
僕が子供の頃は、横断歩道を渡る時は子供自身が注意しないと行けないので、親や先生は「横断歩道は気をつけて渡ること!」と、いつもよりも怒った口調で僕たちに伝えていました。
なので僕たちは下校時にふざけていながらも車道には出ないように気をつけていました。

今や「子供が急に飛び出してくるかもしれへんから、注意しなあかん。」という考えの方が優勢ですので、道で子供が急に走り出しても、追いかけない親をよく見かけます。

周りが配慮しているから、親は怒らなくてもいいし、子供は急に走り出しても大丈夫と考えるのでしょう。
でもそれは違うと思います。
周りが配慮することは必要ですが、子供も気をつけなきゃいけないし、親も注意しないといけません。
急に走り出した時の危険性を子供に伝わる表現で伝えなくては行けません。

子供の頃、口を大きく開けて上を向いているお婆さんの木彫りの置物が怖くて、親は何かあると「そんな悪いことばっかりしてたらお婆さんに食べられるぞ!」と言って僕を怖がらせていました。
言葉での説明では危険性が伝わらないのであれば、子供の感覚にあわせて注意するべきです。

僕よりも上の世代は僕の世代を見て“甘やかされて育って経験が少ない”と思っているでしょう。
その僕の世代から見て、下の世代は“経験が少ない”と思うのですから、年々経験することは減っていると言えます。

英語を覚えるとか、スマホで簡単に動画作るとか、そういう経験は若い人の方が詳しいですが、人間関係の経験が少ないように思います。

自分も行ける行けないで話をややこしくしてしまった経験があれば「ややこしいし、グループから外す?」とはならないでしょう。

束縛は恋愛以外でも、色んな環境で感じるものですが、経験がなければ自分の感情を100%相手にぶつけてもいいと考えてしまうのでしょう。
束縛は恋の病みたいなものですから、自分の感情のコントロールができなければ誰だってなり得ます。
束縛を経験すれば「自分もそうならないように気をつけよう。」と考えます。

自分に経験がなくても、人の話からや漫画や小説などで擬似体験もできます。
漫画や小説などの擬似体験をすることで、経験していなくとも、なんとなく感じるものがあります。
漫画や映画は昔以上に自由に観れるようになっていますから、擬似体験は昔より多いはずです。

それでも今回のような話を耳にするということは、擬似ではなく、経験が足りないのだと考えられます。
ある程度は嫌な経験をしないと嫌だと分かりませんし、嫌なことの対処方法も分かりません。今一度、安全地帯を歩かせる教育について考え直してみる必要があるのではないでしょうか。

化粧品研究者こまっきー

↓こちらへどうぞ↓

www.komacky.com