化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

大人の役割。

人を大きく分ける方法として、性別のほかに子供と大人があります。
子供の頃、大人はすごく物知りで、困ったら助けてくれる存在だと思っていました。

例えば小学生の頃に自転車がパンクした時、父はパンクを直してくれました。
その直しているときの作業を見ていれば、次から自分でもできるかもしれないのに、子供の頃は見ないことが多かったです。

今なら父が作業しているのを見て、「次から自分で出来るようになろう。」と思うのですが、なぜでしょう。
なんとなく、父が作業している間はその場におらずに別の場所で別のことをして、父の「直ったでー。」の一声を待っていたように思います。

子供の頃に体調を崩した時、病院に行って処方された薬だけではなく、追加で自家製の薬みたいなものを飲んでいました。
梅醤油番茶と言って、梅とすりおろした生姜に醤油を入れて熱い番茶を注ぎます。
生姜の辛さが感じないといけないので、番茶は少しで、コップの1/3以下の量です。
それくらいなら、ぐっと飲んで終わりなのですが、めちゃくちゃ時間がかかっていました。
梅の酸っぱいのも苦手で、喉が痛いときにすりおろした生姜が喉を通ってしみるのが嫌で、ちびちび飲んでいました。

梅はクエン酸で疲労回復、生姜は殺菌、醤油は身体を温めて、番茶は炒ってあるお茶なのでお茶の効力というよりは緩衝の役割があるのでしょう。
それだけ効くと風邪の時は良さそうですが、何事も大量摂取は良くありません。
生姜がしみるのが嫌だったのはあながち間違っていなかったようで、すりおろした生姜を取りすぎると、胃がムカつきました。

子供の頃は胃のむかつきの原因がまさか治るために頑張って飲んでいる梅醤油番茶の生姜にあるなんて思わないし、風邪が治れば胃のむかつきも治っていたので、風邪の症状のひとつだと思っていました。

胃のむかつきの原因が生姜であることに気づいたのは大人になってからでした。
社会人になって体調を崩した時、子供の頃に苦手だったものの「早く治るなら。」と梅醤油番茶を飲みました。
母の作り方を参考にして、梅と生姜は少ないと効果はないと考えて沢山入れました。
すると飲んで時間が経った頃に胃がムカついてきました。
「あれ、おかしいな。」と思いました。
体調を崩してから、胃のムカつきはなかったのに、梅醤油番茶を飲んで少しすると胃がムカついてきたからです。

梅醤油番茶は漢方のように1日3回、食前に飲んでいましたが、その日は昼と夜に飲むのをやめてみました。すると胃のムカつきは全くありませんでした。
小学生の頃から風邪の時に起こっていた胃のムカつきは梅醤油番茶が原因であることに気づきました。
そこで調べてみると、すりおろした生姜は胃腸の働きを促進してくれる反面、摂り過ぎると胃に刺激になることが分かりました。

僕は健康に関して、気にし過ぎると栄養バランスが傾いてしまうことや、これにはアレが効くというようなことはないし、コーヒー=カフェインではないというようなことを発信しています。
そういったことに気づくキッカケの1つは、梅醤油番茶だったのではないかと思います。

今まで、苦手だけれどこれを飲んだら風邪が治ると思っていた飲み物が、風邪の治療はさておき、他の症状を起こしていました。「いっぱい入れないと効果がない。」という言葉を信じていっぱい入れていたら、摂り過ぎになっていました。
まさに普段僕が発信している、やり過ぎは良くないの一例です。

子供の頃に親がしてくれていたことを大人になって同じことをするのは良くあると思います。大人になると親だけではなく祖父母や学校の先生など、自分がお世話になった人たちの言動を思い出して、参考にすると思います。

参考にしたときに、梅醤油番茶のようなことが発覚することがあります。
すると僕は、大人について考えてしまいます。

大人とは、子供を助けてくれる存在ではなかったか。
大人とは、子供の知らないことをたくさん知っているのではなかったか。

まさか知っていることが間違っているとは思っていませんでした。
特に健康や食事などについては様々な情報があるために、正しい情報は何かという判断は難しいのですが、その判断ができるのが大人だと思っていました。

大人とはなんだろうか。
大人になった今、大人について考えました。

本能は動物が生まれながらに持っている行動だと言われていますが、人には本能はないらしいです。
動物の場合は、遺伝子にあらかじめ刻まれたプログラム、本能によって、教わらなくても生殖を行うことができます。
人の場合は、生殖などの行動も、言葉を通して後天的に学ばなければいけないそうです。
生殖だけではなく、人は生きる上で必要なありとあらゆる行動を、後天的に学ばなければいけない生き物だそうです。
僕はこれを最近知りました。
大学で生物学を専攻していたのに、恥ずかしい限りです。

ということは、大人は子供に色んなことを伝えていかなくてはいけないと思います。
怒らない教育によって、先生が怒ることを辞めた結果、怒れない子供が増えたように思います。これは大人が教えていないからではないでしょうか。
僕が子供の頃は近所付き合いというのがあったので、家に帰るまでに近所の人に挨拶をしたり、話をしたりしていました。大人が子供に注意をするのは当たり前なので、親や先生以外から注意されたことは沢山あります。そうすることで、大人の色んな考え方や怒りの発火点を知り、その大人に合わせて怒られないように気をつけていたと思います。
今や会社でも新入社員に合わせる傾向がありますから、若い子は自分以外の人の感覚を学ぶことが出来ていません。

ですが、1人1台スマホを持ち、YouTubeやSNSで色んな情報をみていると、自分は色んな経験をしていると錯覚してしまっている傾向があります。
経験と知識は違います。
YouTubeやSNSから知る情報は知識です。知識だけでは正しいか間違っているかの判断はできません。経験を通して判断して、自分の今後に役立てる。それもそれぞれで独立して考えるのではなく、色んな経験を繋げていくことで、全然違う状況でも「これはこうしたらいいんちゃうか。」と判断できるようになります。

スマホを上手に扱える子供と扱えない親の間には情報の量にかなりの差が出てくるので、そういったところから子供は優越感に浸りがちです。
SNSにある情報や自分の好きなYouTuberが必ずしも正しいことを言っているわけではなく、広告宣伝をしていることもあるのに、経験がないと好きな人の発信はどれも信じてしまいます。

僕が子供の頃からそうですが、親が考えることといえば、小学校に入ってから水泳で困らないように幼稚園のうちからスイミングスクールに入れようとか、早くから英会話を学ばせていたら英語が喋れるようになるかもとか、そういったことが多いように思います。

ですが大人になってわかる通り、英語は全くと言っていいほど使っていません。すでにAIの翻訳機能があるので、海外のサイトも簡単に翻訳されて自由に見れますし、メッセージも送ることができます。
それでも子供ができると英会話スクールに通わせます。

今後もスマホの扱い方など、新しいものは子供の方が得意であることが多いでしょう。
そんなとき、伝えるべきは知識と経験のことではないでしょうか。
情報の読み解き方ではないでしょうか。

時代は変化していくのに、今自分には必要ないのに、世間的に必要だと思われている習い事をさせることが大人の役割でしょうか。

人は後天的にありとあらゆる行動を学んでいかないといけないとしたら、大人は子供にありとあらゆる行動を伝えないといけないでしょう。
直接伝えなくとも、大人は見ているだけでも子供にとっては経験になります。

時代は変わります。
僕が小学1年生の頃は家にパソコンはありませんでした。
高学年になってからです。
中学生になって、家のパソコンを触るようになり、携帯電話を手にするようになりました。
それから20年、まさか画面をタッチで操作する時代が来るとは、パソコンで見ていた動画をスマホというコンパクトな機械で持ち運んで電車で自由に観れるようになるとは、それもこんなに高画質で観れるなんて、思ってもいませんでした。
それくらい時代は変わります。

それならば、今のブームを伝えるというよりも、普遍的なことを、変わらないことを伝えていくのが大人の役割なのではないでしょうか。
今はその、変わらないものについて考えています。

化粧品研究者こまっきー

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