化粧品研究者こまっきーの語り部屋

化粧品研究者こまっきーが普段考えていることを書き留める、日記のようなもの。

真実はひとつじゃない。

「真実はいつもひとつ!」
名探偵コナンの名台詞です。
名探偵コナンは僕が4歳の時にアニメの放送が始まりました。
思い出すのは小学校に入ってから、友達の家で漫画を読んでいるシーンばかりですが、歴代のOPとEDを見てみると、覚えている一番古い曲は2代目のED、heathの“迷宮のラヴァーズ”ですので、小学校1年生の頃にはコナンを観ていたようです。

毎週毎週1つの真実を見つけ出すアニメを観ていると、真実は1つであると思い込んでいしまうのかと思いきや、そうはならずに、むしろ最近は“真実”とか“本当のこと”を1つであると考える方が間違っているのではないかと思っています。

子供の頃、同級生と喧嘩をすると先生に怒られました。
そのときの記憶を思い出すと、先生とはだいたい決まったやり取りをしていました。
「なんでこんなことしたんだ!」「どっちが先に手を出したのか?」
聞いてくるのは、行動の部分だけです。

背が小さい僕は小中学生の頃に同級生から舐められていると感じることが多々ありました。
A君はB君の言うことはなんでも聞くし、媚をへつらい、なんだったら進んでB君の鞄を持ったりもするけれど、僕に対しては「はあ?知らんし。」「自分でやれば?」という態度をとってきました。
A君は僕のことを嫌いというよりは、下に見ている感じでした。
自分より下のやつの言うことをなぜ聞かないといけないのか?という目をして僕を見ていました。
これは1人とか2人というよりは何人かは必ずいて、そう思われる原因のひとつに背が小さいことがあるのだろうなと感じていました。

ある日の学校の帰り道、A君とB君と僕とあと何人かで帰っていたとき、同じようなことが起こって、帰り道の畑にA君を突き落としたことがあります。
その日の夜に担任の先生から電話がかかってきましたが、電話越しに聞こえたセリフはお決まりの「なんでそんなことしたんだ!」でした。

だいたい大人の「なんでそんなことしたんだ!」は、?が付かないように、質問しているわけではありません。「だってA君が」みたいな話をさせないようにする威嚇のようなものです。とりあえず怒って、ざっくり把握して、報告書がかければそれでいいのです。
そう思われても仕方がないくらい、状況把握をしようとしません。

すると、問題解決の道筋は「どっちが先に手を出したか?」と言うことになります。
先に手を出した方が悪いということになって、先に手を出した方が謝る。
そして「次からこんなことしなや。」と先生がいい、
それで終わりです。

なぜ手を出すことになったのか、そんなことは聞きません。
子供の頃ですから、多分「なんで手出したんや?」と聞かれてもうまく答えられることは出来なかったでしょう。
それでもちゃんとやるなら、うまく答えられない子供から手を出した理由を引き出すことにあるのではないかと思います。
僕の場合だと、自分だけ下に見られているようで、舐められている態度に腹が立ったわけですが、先生も親もそんなことは知りもしません。

そんなことは知りもせず、「先に手を出した方が悪い」という1つのルールに従って、先に手を出した人を見つけます。

もちろん、手を出すのはダメなことです。
ですがそれは真実の1つです。
大人が作ったルールに従ってできた真実の1つです。
僕と、そしてA君にちゃんと話を聞こうとしていないので、もう2つの真実があるのを知りもしません。
周りに他の子がいたので、その子たちからの目線も含めれば、真実はどんどん増えていくでしょう。
たとえその場にいた子に先生が聞いても、先生の耳に入ってくるのは「どっちが先に手を出したか?」のパズルを完成させるために必要な言葉だけだったでしょう。

そうじゃない先生もいます。
自分の感情を押し付けてくる先生、無関心な先生、とりあえず処理しておけばいいという姿勢を隠そうともしない先生。
ですが、ちゃんとじっくり話を聞く先生には出会ったことがありません。

子供は大人に怒られれば、頭の中で感じていたことや考えていたことが吹き飛んでいきます。
吹き飛ばされた後に「なんでこんなことしたんや!」と言うのは、ちゃんと話を聞くつもりがないと言っているようなものです。

喧嘩両成敗。
この言葉が出てきた時はお互いが手を出したときのみで、片方だけが手を出した場合、片方が泣いた場合は、両成敗関係なく、手を出した人や泣かせた人が悪いとなります。
たとえそうなるキッカケを作ったのが殴られた方であっても、そこまでの情報収集はしないので、この場合に喧嘩両成敗という言葉は出てきません。

このように子供の喧嘩でも、見る目線が違えば真実は異なります。
真実はたくさんあります。
なのに「メディアは真実を伝えていない!」とか「SNSに真実がある!」と考えてSNSの情報ばかり見ている人が多いなと感じています。
または「本当のことを教えてくれない!」と自分では探しもせずに、誰かが教えてくれるものだと思っている人もいます。

子供の頃の経験でいうと、1パターンの方法でどっちが悪いかを決めつけ、そうなるキッカケを知ろうともしない大人に、真実を見つけることは出来ないでしょう。
真実を見つけるための情報収集すら出来ていないのですから、見つけるために考えることも出来ません。

大人になって、色んな真実があるなと思った僕は、色んな目線からの真実を聞いて、自分なりに考えて真実を作ればいいと思っています。
そのために、発信者の立ち位置を把握するようにしています。
大手メディアには大手メディアの情報発信のルールがあるはずです。
バライティなどでもNGワードが増えたように、NGな発信があるはずです。
メディアも会社ですから、株主の都合の悪いことは言えないでしょう。
そういうところを考慮した上で、大手メディアが話す真実をみています。

SNSでは発信者がどういった考えで情報を発信しているのかを知るべきです。
インフルエンサーが紹介している商品の悪口を言わないように、個人でもスポンサーがいることもあるでしょう。
またはずっと同じことを言っていたら、それがその人の基本的な考えであると言えます。
そういった基本の部分を理解した上で、“そういうふうに考えているこの人の意見”として、その人が話す真実をみています。

どれも真実にみえるときは、とりあえずそのまま放置しています。
自分は大手メディアやSNSの発信者のように1つの真実に絞れないなら、無理に絞らなくていいのです。

名探偵コナンのコナン君は「殺したのは誰か?」ということをベースに1つの真実を見つけています。
ですが真実はいくつもあります。
そういう目で名探偵コナンのアニメを見ていれば「いや、これは殺される側にかなりの非があるんじゃないか?」と思う時もあるでしょう。

真実をわざわざ1つに絞ろうと思わなくても、いいのではないでしょうか?
1つの真実を追い求めるのではなく1つの事柄から、いくつもの真実を矢印を引っ張って書いていき、それを上から見て、「どう解決するのか?」と事の成り行きを見て学ぶ。
こっちの方が、自分の今後に役立ちそうです。

化粧品研究者こまっきー

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